忍者ブログ

更新不定期日記

管理人の気まぐれで更新される正直どうでもいい更新不定期日記。

無題

ふと、せっかく書いたのに一部の人にしか気づかれないのもあれだと思ったので
現在のサリング界では上級者は育たない。理由は簡単だ。
ただ単に、新しく公開される難譜面が少ないため、
様々な譜面に触れる絶対量が減るからである。
もちろん、少ない譜面を何度もやれば上手くなるかもしれない。
しかし、それでは多種の譜面タイプに慣れることはできないし、
未知の譜面への対応力が身につかない。
そういう点で、やはり難譜面の量というのは必要である。
難譜面攻略において、一番効率がよいのは敢えて遠回りすることである。
これは、一つの譜面に固執せずに同難易度帯の様々な譜面を
プレイしたほうが効果的ということである。
一般に、難易度は高いものの量は少なく、低いものの量が多いほうがいい。
そんな風潮があるように思えるが、これは全く違う。
あくまでも、プレイヤーからの視点での話だが、
高難易度になればなるほど成長に必要な譜面量は、当然増えていく。
つまり、譜面数がピラミッド型になっているのはおかしいというわけだ。
では、現在のサリング界はどうか。現状、中難易度帯の譜面が最も多い。
これは、中難易度帯へ挑戦するプレイヤーが多いということなのだろうか。
ある程度長い期間努めてきた譜面製作者は、
自分の譜面に自分自身でリミッターをかけて制御することが多い。
そうして、自分の操れる範疇に譜面を押しとどめるのである。
それでは技術は進歩しない。維持するだけである。
自身のプレイスキルが上がれば譜面の新しい見方ができる。
譜面への見方が変われば自ずと考え方も変わる。
このようにして、譜面を多面的に捉えることは
譜面製作者にとって必要なことではないか。
譜面を作っているうちに、試行する前から切り捨てた配置はないか。
もしかしたら、それはサリング界の発展を一歩遅らせる行動なのかもしれない。

私がペンタブに変えてからもうどれほど経ったのだろうか。
それくらい、ペンタブとの付き合いは長いのかもしれない。
今では既にマストアイテムとなってしまったペンタブだが、
それを使い始めたきっかけなんていう大それたものはなかったと記憶している。
ただ、なんとなく。そんな始まりだった。
当時、私は中の上くらいのマウスプレイヤーだった。
もちろん、ペンタブなんて凶器はまだ普及していなかった頃である。
その頃には、私はもう自分のサイトで譜面を公開していたはずだ。
そんなある日、私は机の上に置いてあるペンタブを目にする。
なぜペンタブを入手したのか、その理由は覚えていない。
ただ、サリングをするためではなかったのは記憶している。
しかし、その日のそれは、いつもと違うように見えた。具体的には言いがたいのだが。
そして、私はペンタブでサリングをプレイすることにしたのだった。
数回プレイすると、もうすでに自分のマウスの腕を越していた。
今思えば、こいつはエデンの園の林檎だったのかもしれない。
それに私は口をつけた。
触れてはならない禁忌に。しかもなんのためらいもなく。
それから私はいつの間にかサリング界のトッププレイヤー
と呼ばれるようになってしまった。
この凄まじい成長と共に、置いてきてしまったものがある。
しかし、私はそれを置き去りにしたままにしようと思っている。
後ろに置いてあるものなら誰かが拾ってくれる。
その分、自分は前に進もうと思ったのだ。
これが林檎の代償である。

時代の流れとは残酷である。サリングSが公開されてからもう4年経った。
今、公開されている難譜面を3速で見てほしい。
どのような感想を抱くだろうか。数年前はこれが標準だった。
プレイヤーの技術の向上は時間がもたらしたものである。
技術面でのプレイヤーの格差は徐々に広がっているが、
これは時間による作用が大きいと思われる。
そして、その時間は譜面そのものの本質をも変化させようとしている。
あのときの難譜面は風化し、思い出も色褪せる。
そんな強い力を持った時間を急激に進めるアイテム、それがペンタブである。
ペンタブが生み出した功罪は大きい。
それでも私はこれからもペンタブを使い続けるだろう。
私は前を見て歩み続けるつもりだ。
たとえ、それが後ろ向きだったとしても。

これからのサリング界はどうなっていくのだろうか。
私は、これから再び起こるであろう大きな変化を恐れている。
それを実感することとなった譜面をこの感謝祭で公開するつもりでいる。
難譜面をクリアすることは必ずしも達成感と充足感に満ちることではない。
このことを知らされた出来事であった。
それをクリアしたときに感じた絶対にあり得ないはずのもの、恐怖。
今まで思いもよらなかったこの感覚から逃げるわけにはいかない。
きっと、数年後にはこれが当たり前になっているはずなのだから。
そして、私はまたこの感覚を捨て去ってしまうのかもしれない。
そのどちらが恐ろしいことなのか今の私には判断がつかないが、
やはり立ち止まることは許されないと思う。
私はあのときペンタブを手にしたのだから。
PR